2025.07.30
息子の言葉にハッとする日
ファミリー昨日から息子が帰省しています。今年の夏休みは例年よりも短いようで、8月3日にはもう戻る予定なのだとか。そのぶん気持ちが軽く、滞在中もお互い気張らずに過ごせそうです。
そんな中、彼がぽつりと、「大ママの誕生日会、東京でやるらしいよ。で、その時に彼女連れてきなさいって言われた」と。
…一瞬、耳を疑いました。
というのも、大ママが東京に来るとなれば、仙台から姉夫婦、関東近郊の従妹たちも集まり、総勢15~20人の一族会議。にぎやかで楽しいけれど、その輪の中に、まだ高校生の彼女を招くというのは、なかなかの冒険です。
kouseiさんとも相談し、「会が始まる前に軽く挨拶だけしてもらって、あとは失礼してもらうくらいがいいんじゃないか」という案で一致。姉に聞いてみても、「急に用事ができたってことで、無理に来させなくてもいいんじゃないの?」と、やはり同じ感覚。大人数の“親戚会”というものは、大人でもなかなか気を使うものですから。
ところが、息子の反応はというと、「俺も彼女の親戚の集まりに何回か行ってるし、大丈夫だと思うけど~」と、いたって軽やか。あれこれ構える私たちとは対照的で、良い意味で肩の力が抜けています。もしかすると、こうした気軽さも今の時代の自然な感覚なのかもしれません。
一緒に出かけたとき、強い日差しの中でサングラスをしていなかったので、「今回持ってこなかったの?」ときくと、「うん、置いてきた。外ではいいけど、室内に入ると邪魔なんだよね」との答え。そこで、「じゃあ首からネックレスみたいに下げといたら?」と提案したら、「そのスタイルは、もうかなり古いよ」と返され、苦笑い。たしかに、あの“ぶら下げるスタイル”は、少し前の定番でした。
また、彼はAirPodsを持っているのに、今回はなぜかワイヤー付きのイヤホンをしていたので理由をきくと、「使うシーンによって変えてる。イヤホンもファッションの一部だから、アクセサリー感覚だよ」と。なるほど、たしかに最近は、あえてコード付きのイヤホンを選ぶ若い子もよく見かけます。
音楽ひとつとっても、装いの一部として意識しているところに、新しい感性を感じました。日々のなかに、さりげなく“世代”が顔を出す瞬間があります。そこに気づくたび、驚いたり納得したりしながら、ちょっとだけ視野が広がる気がするのです。



