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2025.07.10

最善を尽くすという、行動の選択

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私たちは何かに取り組むとき、「最善を尽くそう」と心に決めることがあります。でも、最善とは何でしょうか。完璧にやりきること?失敗しないこと?それとも、できる限りのことをするという意味でしょうか。

例えば、誰かのためにご飯を作るとき。疲れていたとしても、できるだけ栄養のあるものを、相手の好みに合わせて用意する。手間をかけることが「最善」と思うかもしれません。でも、その日の自分の体力や時間も限られている。その中で、心を込めて温かい一品をつくることも、立派な「最善」です。

ある朝、子どもが熱を出しました。その日、大切な予定がいくつも入っていて、心の中はざわざわ。全部キャンセルするしかないと決めたけれど、「なんで今日に限って…」という思いがよぎる。葛藤しながらも、子どもに寄り添い、熱を測り、水分をとらせて、そばにいる。仕事には行けなかったけれど、「今の自分がこの状況でできることをした」と思えたとき、不思議と後悔はありませんでした。それが、その日の最善だったのだと思います。

あるいは、友人との約束をうっかり忘れてしまって、慌てて謝罪の連絡を入れました。自己嫌悪でいっぱいになったけれど、正直に謝り、会えなかった理由を丁寧に伝えて、次の約束を心から大切にした。失敗そのものは消えないけれど、その後どう向き合うかに「最善を尽くす」ことは残されています。

哲学者カントは「人は義務として最善を尽くすべきだ」と語りましたが、それは人に評価されるためではなく、自分の内なる誠実さに従うという意味です。誰にも見られていない時でも、自分が納得できる行動をとる。それが「最善」だという考えです。

また、ギリシャ哲学の中では「徳(アレテー)」という言葉があります。これは「そのものらしさを全うすること」。つまり、木は木として、花は花として、自分の持っている力を自然に発揮することが「よく生きる」ことにつながる。人間もまた、自分の持てる力を、今この瞬間に誠実に使うことが「最善を尽くす」ということなのかもしれません。

日々の中では、自分が思うようにいかないことの方が多いものです。それでも、「あの時の自分なりにできることをやった」と思えるなら、それは立派な「最善」。結果が思い通りでなかったとしても、心を尽くしたその時間には、意味があります。

最善とは、常に「今の自分にできること」に目を向けること。比べる相手は他人ではなく、昨日の自分。そしてそれは、無理をすることではなく、自分自身に正直でいることでもあると思います。


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